このドリームゲートさんのブログを始めて間もなく3年が経とうとしています。
「宣伝になるから一緒に始めない?」と3D造形屋アイジェットの久米原社長に勧められgoo
サイトで行っていた「日中友好ブログ」を辞めてこのドリームゲート社長ブログに引っ越しを
しました。
お陰様で最近では、このブログを見たと色々な商品問い合わせや取材の依頼もあり先日は写真の
ようにNEWS23クロスにまで出演させて頂けるようになりました。(アップで驚きました。)
ドリームゲートブログの効果は絶大なので是非お勧めしたいと思います。
そして、このブログでも何度か紹介させて頂きましたが…
6月7日(木)の「FM YOKOHAMA Morning Steps」で4週間連続で出演させて頂きます。
毎週5分間ですが、当社の事業内容や設立の経緯そして今後の展望等をお話させて頂けるので
頑張って宣伝したいと思います。
2001年以降は、中国の浙江省海寧市にある女性社長の工場とタッグを組んで、ヒット商品がどんどん生まれ工場の規模は次第に拡大していったのです。
まだ20代だった女性社長の管理や考え方も素晴らしく、三笠との協力関係が出来上がり工場で生産する殆どの商品は、弊社向けという感じにまでなりました。
工場の建物は古かったのですが、清掃や管理がしっかりされていて、工場点検にいらしたお取引先様もこの工場は良いと驚く程だったのです。
丸編み靴下は完了し、次は5本指靴下を作れる工場を探して2003年頃から紹興の近くにある上虞市の周辺の工場へ通う事になりました。
この頃の中国は、まだ無理にお酒を飲まされるし、タバコも無理に吸わされる習慣だったので大変でした。
工場での商談が終わると、夜はホテルのレストランで円卓を囲み、日本人の来客という事で、あまり関係のない様な銀行さんやら役人さんやらまでやってきて大人数での宴会!
入れ替わり立ち替わりにお酌され乾杯(カンペイ)=一気飲みそしてタバコを渡されて火を付けられるの繰り返し!倒れる位まで飲まされました。(今ではこんな事はほぼありません)
2ヶ月に1度ぐらいは上虞という街にへ行き5.6年は通ったと思います。(現在は仕入れ担当スタッフが通っています。)
そんな中国の活気に魅了され、中国では2003年位まで中国企業との合弁しか認められていませんでしたが、独資での企業が可能になり2006年に日系企業が集中する上海古北に上海三笠(美咖莎服饰贸易有限公司)を資本金20万ドルにて開設しました。(もうすぐ13年になります。)
この頃から上海にマンションを借り開設後しばらくは、年間200日以上中国という生活が続きました。
タラレバになりますが、資本金で使った20万ドルでマンションを買っていれば、軽く10倍以上になっていました。
そして2007年頃、関係の良かった浙江省海寧市にある女性社長が高級な造りの大きな工場を落成し、弊社との関係に亀裂が入り始めたのでした。
つづく、、、
今日の写真は、上海三笠開設した当初のスタッフ2名の曹さんと林さんです。
昨日は、ブランディングの先生が来てミーティングが行われましたが、なるべくお金を使わないで、商品をバズらせる方法を伝授して頂ける様にお願いしました。
具体的なサンプルも出来上がって来ているので、早くバズってくれると良いですね。
おっさんには、専門用語が多くて難しいです。
TBSテレビさん「NEWS23」の特集で、今日から始まった日本円対人民元の直接取引に関する
特集を組むらしく今朝突然連絡があり取材を受けさせて頂きました。
実際に人民元で直接取引出来る事により、実務的に日本企業・中国企業にとってどんなメリット
があるのかをお聞かせ願いたいと言われ最初は上海事務所で行う予定でしたが、中国から靴下を
日本へ出荷する様子が分かり易いので事務所ではなく出荷する現場にてインタビューという事に
なり上海郊外の当社指定検品工場で撮影して頂きました。
中国で活躍されている日系企業さんが多数ある中、人民元直接取引の話題で当社を取材先に選定
して頂けて大変嬉しく思います。
上手く説明出来たか分かりませんが、現在私が思っている事をそのまま喋らせて頂きました。
今後、人民元直接取引により日本と中国の2国間のビジネスがより一層やり易くなり活発になる
事を願っています。
今日は、1元=12.33円 一昔前は1元15円と言われていましたのでかなり円高イメージです。
日本にとって中国は大切な生産国ですし今では大きな消費国でもあります。
徐々にドル建ての取引から元に変更する事を進めて行きたいと思います。
いよいよ元号が平成になる頃に、弊社のメインのお取引先様のかながわ生協さんが、激変の時になりました。
近県の静岡・山梨の生協さんと事業連合して大型の店舗を出店をする事になり、色々な業種から人材を募集しバイヤーさんも外部からの方が入って来たんです。
それに伴って、納入する業者(ベンダー)もGMS(イオン・ヨーカドー等)と取引している大手の新規業者が増えました。
靴下の業者も、今まで2〜3社だったのが、7〜8社に増えてしまい競争が激しくなって来ました。
そして、生活協同組合連合会ユーコープ事業連合さんが、1991年に静岡県袋井市に大型店舗1号店ハーモス袋井が開店そして1992年に神奈川県座間市にハーモス座間を開店させました。
バブル全盛期は、開店・改装・商品の登録作業と大忙しの時期でした!
つづく、、、
写真は、1号店ハーモス袋井店があった場所です。2006年に閉店してオカノになりましたが、2008年に閉店して現在のキーテナントはニトリみたいです。

中国でのものづくりは、今でも想定外の事が色々と起こるのです。
昨日、上海スタッフから私に電話があり、「社長!決定して発注した工場の社長から連絡があって、見積もりの計算間違っていたから値段が上がります。」との報告でした。
私が「なんで?発注書送った後でそんな認められません」と答えると、「それなら工場は商品を作らないと言っています。」との回答でした。
これに似た事が、最近は多くて困っています。
日本では、考えられないですね。
29日午前、中国外匯交易中心(外為市場)において日本円と中国人民元の直接交換を6月1日
から開始するとの報道がありました。
これまで米ドルを介して取引を行なっていた人民元と日本円の取引に関して、初めて米ドル
以外の外国通貨との直接レートを設定し直接取引が実施されるようになります。
人民元の切上げが始まってからは、中国工場側は受注してから納品までのリードタイム期間
での切上げを見越してかなりレートを高く計算していましたが、人民元で直接見積りを受けれ
ば、中国工場側の為替リスクは無くなり価格の交渉がし易くなります。
問題は中国工場側にはとても良い事ですが、日本の銀行側の手数料がドルに比べて高いと当社
にはメリットが少なくなってしまいますね。(安くして貰わなくては…)
ただ為替はやり易くなっても、インフレが落ち着いてくれないと割安感を感じられないです。
10数年前に初めて中国に来た時に、駐在の友人から100元=10,000円のイメージだよと教えて貰
ったのですが、今では100元=2,000円程度のイメージ!近日中に500元札も発行されるみたい
なので、ますます価値感が変わって来る気がします。
6月7日(木)の「FM YOKOHAMA Morning Steps」で4週間連続で出演させて頂きます。
今日の朝に放送を聞きたかったのですが、上海滞在中で聞く事が出来なかったので後で録音を
してあるものを聞いて雰囲気をつかまなくては…
昨日メールにて事前のインタビュー内容が届いたので、これから検討します。
メインのお取引先のユーコープ様はバブル崩壊の時期に、大型店の出店が続いてバブルが崩壊した後でも弊社の売上げは順調だったのですが、、、暫く年月が経過してから、衣料・雑貨の売り場を縮小して専門店等に変更する改装が始まってしまいました。
その影響で、1990年代後半になると売り上げが急激に減ってこのままでは潰れてしまうほど厳しい状況になり販売先を増やさなくては生き残れない!
とはいえそう簡単に新規の取引先を増やす事は難しい、、、さてどうしよう???
今までのユーコープさんの実績を持って、全国の生協さんへ商談に行き始めたのですが、中々簡単にはいきませんでした。
そんな中、商談に行ったある生協のバイヤーさんが、「みんなどこの業者も3足1,000円とか同じ様な靴下ばっかりでつまらない100円均一の時代だから1足100円くらいのインパクトある靴下持ってこいそうしたら取引きしてやる」と課題を与えられました。
この時期は、安い靴下は韓国製の方が圧倒的に多い時代で、靴下の輸入商社さんは更に安い靴下を求めて中国へシフトを始めていた時期でした。
これは、商社もどこも使わないで、中国の工場と直接取引するしか無い!2000年に中国へ行って工場と直接商談し、写真の様な10足980円で販売できる商品の開発に成功!
この商品が爆発的に売れてたんです。
たまたま最初に取引した中国靴下工場の女性社長が、独立したばかりで前職が、大手の靴下工場で品質管理を担当していた事もあり商品の評判も良くこの工場で作る新規商品は、次々に売れて全国の生協さんの取引口座を頂く事ができました。
つづく、、、

今年で、5年連続出場になるホノルルマラソンが、近づいているので、週末は2日連続ハーフマラソンを走りました。
あまりやり過ぎると、アキレス腱や膝にも影響がでるといけないので、ほどほどにしないといけないとは思うのですが、調節が出来ないんです。
明後日から奈良へ行き、来週は中国の予定なので、あっという間にホノルルマラソンの本番になりそうなので焦っています。
昨日は、上海のマンションに上海留学中の娘が遊びに来て一緒に「行列のできる法律相談所」
を見ていると、上海で一番ウケるお笑い芸人は?なんて特集をやっていたので、娘と予想し
ながら興味深く観賞させて頂きました。
私の予想は「オリエンタルラジオ」娘は「渡辺直美」の予想でしたが残念ながらハズレ!
为什么呐~为什么呐~为什么为什么呐~ 为什么呐~为什么呐~为什么为什么呐~
短時間の練習で中国語を話しお笑いネタをここまで披露する芸人さんの努力に関心。
私には、オリラジさんが一番努力しているように感じたのですが…
この番組を上海にてリアルタイム見たのでより一層楽しく感じとても楽しませて頂きました。
土曜日は、浙江省上虞市の5本指靴下工場へお客様をアテンドさせて頂き、お客様に上虞市は
軍手の産地でもあるとお話をすると防災用として軍手の要望を頂き、善は急げと急遽軍手工場
へも見学に行きました。
ただ工場側は日本向けの軍手受注がかなり好調で、工場もかなり強気!
まだまだ交渉が必要です。
そして今日は午後から北京へ出張します。
奈良での靴下修行を終了し、私が三笠に入社したのが、1982年(昭和57)でした。
その当時の弊社のメインのお取引先様は、かながわ生活協同組合さんで、売上げのほぼ8割を占めていました。
奈良から戻り、私が担当を任されたのは、県内のスーパーさんや小売店さんで、当時は、車でラウンドして注文を貰ったり集金したりといった仕事でしたが、
入って1年くらいが過ぎた頃に、販売のメインだったかながわ生協さんに対する売上げが半減し、会社存亡の危機がやって来ました。
この時に、かながわ生協さんを担当していた営業スタッフが、私に対して、このままでは会社はダメになるから、2代目のあなたは(ある宗教)に入信しないと会社は良くならないと迫られました。
そして、その宗教の色々な集まりに連れていかれたりしましたが、全く興味が無くお断りしたので、結果的にその営業スタッフは辞表を出し辞めてしまいました。
そして、私は急遽メインのお取引先様のかながわ生協さんを担当する事になったのです!何をしたら良いのか全く分からない中で、先代にとにかく毎日通えと言われ
それから、毎日必死に横浜市瀬谷区五貫目町にあったかながわ生協さんの商品部へ通い詰めバイヤーさんの仕事お手伝いをしてなんとか
売上げも直ぐに回復し、その後は好景気になり昭和63年に今の本社ビルを建てる事が出来ました。
つづく、、、
この写真は、5年前位に撮影した本社ビルです。
昭和64年から、一度大きなリニューアル工事を行いました。
弊社のデザイナーさんから、新商品のパッケージについての営業スタッフに対してのプレゼンがありました。
素晴らしく良くできたプレゼンにびっくり!今までにない感じのとても良いパッケージに仕上がりそうです。
完成したら、このブログでも紹介させて頂きます。
明日・明後日の2日間上海万博会場跡地の「万博公園」で開催されます。
昨年11月に続く2回目で、昨年の2万2000人を上回る最大3万人の参加を見込んでいる
らしいのですが、20~30歳が6割、残り4割が30~45歳の年齢層となっていて、しかもうらやま
しい事に男性対女性は4:6で女性の方が1.5倍も多い男性天国状況になっているらしいのです。
但し残念ながら外国人の参加は不可だそうです。
しかし、3万人が一度にお見合いなんて…主催者はどうやって仕切るのかな?
こんなに結婚したい人が一度に集まるのなら、色々なビジネスチャンスも発生しますね。
例えば、ここで婚活成功祈願靴下を販売したら売れるのかも(笑)
週末は日本からのお客様と工場点検そして来週は北京・青島方面へ商談に行く予定です。
当時の奈良の靴下工場には、まだ九州からの集団就職で来る人も大勢いて、大きな靴下工場にはその為の寮が有りました。
労働条件も厳しく、休みは週に1日あるかないかで、工場は24時間稼働でも2交代が当たり前でした。
東京で夜中まで遊んでいた生活から、朝寮を出てから朝、昼、晩の3食を工場の社長宅で食べて、それ以外は仕事と言う生活に一変してしまいました。
当時は痩せていましたが、体力だけには自信があり重たいダスリーの糸ケースを何度も運び喜ばれていましたが、編機について教えて頂いて方の奈良弁が何を言っているのかわからなくて理解できない事が多くあったのですが、悪くて聞き直す事もできなくて困っていました。
その当時の年配の方の奈良弁は日本語じゃない様に聞こえたのです。(大袈裟ではないです。)
それが理由という訳ではないのですが、編み機については覚えが悪く、一緒に入社した奈良県吉野山出身の同僚よりも夜勤を任せてもらう迄にかなり時間が掛かってしまいました。
その当時唯一楽しみだったのは、休みの日に当時奈良県で、非常にカッコ良く見られた横浜ナンバーのマイカーで、信貴生駒スカイラインへ行く事でした。!
つづく、、、
横浜の○○息子は、写真の新車を奈良で廃車に!

今日は、本社での会議でした。
いつもは、物流から何名か参加するのですが、今月は忙しくて来られないとの連絡で本社スタッフだけで行いました。
今月は、注文点数が非常に多く物流のパートさん達は、土曜、日曜も出勤と平日は残業までして対応してくれているので、本当に感謝です。
納品が落ち着いたら何かお礼したいと思います。
今日の「10年間で40%の増加」というのは、なんと!!上海の人口なのです。
上海市政府は5月4日(金)、人口及び計画生育会議を市内で開催。その席上で、市の常住人口が
増加の一途を辿っており、昨年末時点で2347万4600人に達したことが報告されました。
報告によると、同人口は全国総人口の1・7%を占め、10年間で常住人口は661万1500人増加しており、
増加率は、全国平均5・8%を大きく上回る40%に達している。
10年で日本第2の横浜市の人口以上に増加しているなんて・・・
やはり、上海に来れば仕事があるので儲かるというイメージなので地方からどんどん人が集まった来た結果
なのですね。
今日はこれから、日本へ帰国します。
横浜本社へ戻ったので、調子にのって三笠の歴史のつづきを書きます。
昭和51年に現在本社のある港南区日野南3丁目2ー71号へ移転したのですが、長年印刷工場として使われていたので、平屋建てのボロボロの建物でした。
この頃で、三笠のスタッフはパートさんを含んで10名程度で売上げは2億くらいだったと思います。
靴下とは関係ないので、弊社のホームページには書いていませんが、昭和54年頃に有限会社みかさを立ち上げて、港南台駅から徒歩5分くらいの場所にある212(ツーワンツー)ビル1階で和食みかさというお店を出していました。(7〜8年営業の後に閉店)
私が、高校生の時には、ここで出前や板前さんの手伝いをたまにやっていたんです。
高校の時は、直ぐにバイクの免許を取得して、朝から近所の読売新聞笹下販売所で、新聞配達のアルバイトそして昼は学校へ行き夜は関内駅前のセンタービル最上階に「カウベル」というライブのお店がありそこでウエーターをやっていました。
高校の3年間と専門学校へ通っていた時は、良く働き良く遊んだ時期でした。
あまりに遊び過ぎて、先代からそろそろ真面目に靴下を勉強しろと、奈良県大和高田市にあった「タケムラ靴下」さんへ編み立ての勉強へ行く事になってしまいました。
つづく、、、

この写真の場所が、私が2年修行したタケムラ靴下さんだった所で、現在は、梅田メリヤスさんと三山(糸屋さん)の事務所と配送所になっています。
上海市内にかなりの勢いで、セブンイレブン・ローソン・ファミマが出店しています。
特に、セブンイレブンとローソンは激しく、日本人が多く住む古北地区の目立つ場所には、隣りや
数メートルの場所での開店や改装でコンビニ戦争が激化しています。
個人的には、ファミマの日配商品の品揃えが日本的で一番良いと思います。
カゴメの野菜ジュースにサラダ・辛口チキンバーガーでの朝食こんな日も多いです。
今日の写真は、ファミマのおにぎりとバーガーがリニューアルされたのですが、おにぎりにワンピース!
日本のアニメ人気は凄いな~と感心しました。
昨日の続き、、、
私が、小学校の低学年までは、自宅兼事務所にて営業していましたが、事業の拡大により磯子区中原にある下の写真のビル1Fに引越しをしました。(現在のグーグルマップの写真)
この頃は、忠実屋さん・かながわ生協さんをメインに近郊のスーパーさんに靴下を納入していました。
週末には、伊勢佐木町の松坂屋さん他での店頭に出店し靴下の販売をしてていました。
私も良く一緒に行って靴下の販売をし販売が終わると、夜には家族で中華街へ行き食事するのが楽しみでした。
夏休み等には、当時の三笠ソックス営業マンの車で一緒に忠実屋さんの店舗を回ったりしていました。(こんな事もOKな時代でしたね。)
その後は、私が中学校の頃に、現在の本社がある港南区日野南にあった印刷工場跡地を購入して移転をしました。
この印刷工場跡地は、近くに大船に松竹の撮影所があったので、映画の「男はつらいよ」のフーテンの寅さんに出てくる寅さんの幼馴染・タコ社長が経営する印刷工場のロケで使われていたそうです。
つづく、、、

今日は午後の羽田発なので、これから上海出張へ行ってきます。
中国工場と価格の交渉をして仕入れ価格を下げる時にはまず目付を軽くするとか、安い原料に
規格を変更する方法を提案します。
日本の工場も基本的には同じなのですが、今回奈良工場を始めて技術者とのミーティング等で
商品規格をなるべく変更しなくても、効果的にコストを削減出来る方法が色々ある事を知りました。
写真は編み上がって機械から出てきたばかりの靴下なのですが、この段階での検品をなるべく
早く確実に行う事により大幅に商品ロスが削減できると言う事で、現場に編み下がり検品担当者
を配置する事により大幅にロスが削減され、更にB品として産業廃棄物となる商品も減りエコにも
繋がりました。
ただ、この編み下がり検品に関しては、中国工場の方が工員さんも多く頻繁に行っているのですが、
素人が多く問題を発見しても、しっかり直せる技術者が工場にいないのだと思います。
それ以外にも、なるべくデザインを重視しながらも機械に負担が少ない柄の出し方をデザイナーと
技術者でミーティングを行う事により、機械の糸道の切り替える回数を減らしたり、機械のカッターで
糸を切る回数も減らす事が出来たので以前より機械が順調に回るようになりました。
それは高い機械の部品の消耗も抑えらる編み針の折れる回数も減るので一石二鳥!
こんなところにも、奈良県靴下技術者の経験が生かされています。
このような指導も、中国の検品工場では当社物流スタッフが行っていましたが、今後中国生産工場へ
奈良工場技術者と一緒に行き教育する機会を作ろうと思います。
10月の売上げ入力もほぼ完了したみたいなので、集計してみたら昨年を大きく下回る86.4%これは厳しい!
ずっと調子良く推移していたのに、これは消費税の影響なのでしょうか?
かと言って、9月に特需と思う様な動きも無かったのに〜
それとも、暖かいというか、暑かった10月その影響で、冬物の動きが非常に悪いのが原因なのでしょうかね?
1月〜10月までの実績では、9月までの貯金を使い昨年比104.3%という数字なので、残りあと2カ月ですが、なんとか目標の105%を
超えられる様に頑張りたいと思います。

今日の写真は、三笠西日本営業所の検針工程です。
全ての商品を、Wヘッドのハシマの検針器にて検針を確実に行っています。
昨日の振替休日は、天気がよかったので、近場の逗子にある「なぎさ橋カフェ」に車を停めて1時間半くらいジョギングを行ってから、
車で着替えてモーニングセットを食べてきました。
飲食すれば、なんと駐車場3時間無料なので、この辺のコインパーキングの料金を考えるとメチャメチャお得なのでオススメです。
逗子の海岸沿いをを散歩するのも良いのでは?
「上海の新生児、女100人に男113.1人」という見出しの記事
海市政府は4日開いた人口・計画生育工作会議で、2011年に上海で生まれた新生児の男女
比が、女の子100人に対し男の子113.1人となったことを明らかにした。男の子は前年から0.8人
減少したが、自然な男女比とされる103~107人を依然上回っている。
上海戸籍保有者に限ると、男の子は前年比0.3人減少の106.7人。居住半年未満の「流動
人口」は、同1.3人減の119.2人だった。
「一人っ子」政策下の中国では、農村出身者を中心に男の子願望が根強いとみられ、同市は11年、
妊娠中の性別鑑定や中絶手術を違法に行った医者698人を摘発した。一方、両親とも「一人っ子」
など条件を満たした1万0783人(前年比20.9%増)が第2子の出産を申請したという。
中国の産婦人科では、生まれる前に性別は絶対教えない事になっているのですが、それにしては
このバランスはおかしい!お金を貰って教えている産婦人科医師が大勢いるという事ですね。
でも、こんな男女バランスが続くと中国の男性は益々結婚出来なくなるのでは?
昨日上海に来て気になったニュースだったので書いてみました。
あまり弊社のスタッフも知らないので、なぜ靴下の三笠という会社を設立したのか?という事を書いてみます。
私の母親が、靴下の街で有名な奈良県の広陵町の疋相という所の靴下工場の末っ子として生まれ育ちました。
母は、地元の高田高校を卒業した後に上京して、父と結婚し実家の靴下工場からの融資を得て横浜(現在の私の自宅)にて靴下の卸売を開始しました。
それがなんと私の生まれた昭和37年なんです。
父は、東京で政治家付の運転手をしていたので、運転が得意で車も持っていたらしく、当時奈良で靴下を買って車に積んで帰ると飛ぶ様に売れたと聞いていました。
お陰様で、私は小学校の頃までとても大変裕福な家庭で、なに不自由なく育ってしまいました。
一気に書くと長くなるので・・・
せっかくブログサイトも弊社のホームページになったので、私の記憶のある三笠の歴史をまた書きたいと思います。
つづく、、、

明日から中国出張に行ってきます。
中国国際輸入博覧会以外に急遽、工場2件へも行く事になったので予定はびっしりです。
中国就労ビザの更新も近づいているので、最近はあまり中国にいる時間が少ないので、手続きの予約を上手く行って年内に完了しなくてはなりません。
上海スタッフと相談して期限内に必ず完了させなくてはなりません。
わざわざビザ更新の為に行かなければならないなんて事がない様にしないと、、、
でも、最近は、中国人の日本行きビザの更新は緩和されているのに、日本人の中国就労ビザは本当に大変なんです。
点数制になっていて、ある基準に満たないと更新は許されません。
その基準に対して自己採点をしましたが、全然基準点数を満たしていませんでしたが、一応 ABCと3ランクの中のBランクになっています。
その内容の記事を見たい方は→ここをクリック!
おそらく、私の場合は中国に出資している会社のオーナーなので、更新がすんなりと出来るのだと思います。
中国に対しての靴下のデザイン指示は、まず商品企画の後で写真のような最終のデザイン案が
私にメールで届きOKを出すと、デザイナーと工場でサンプルの作成と修正を何度か行い商品化さ
れます。
この写真は、キシリトール(接触冷感)素材を使用した子供用のスニーカーソックスです。
中国にて、他の業種と一緒にキシリトールの薬剤を共同購入して価格を抑えて商品化しましたので、
是非お試し下さい。
11月6日〜10日に上海の虹橋にある国家展覧中心で行われる「第2回中国国際輸入博覧会」へ行く予定です。
習近平国家主席の指示で始まった中国の国家プロジェクトで、上海市政府も力を入れて取り組んでいる一大イベントなので、警備も厳しく事前の登録が無いと入場も出来ません。
昨年は、事前登録していなかったのですが、中国の事だからなんとかなるだろうと会場へ行きましたが、あまりの警備の厳しさに近づく事すら出来ませんでした。
しかも、習近平さんが来るとの事で、道路は綺麗・会場の周辺は綺麗そして運河には、ゴミ一つ浮かんでいませんでした。
一年前の記事→ここをクリック!
昨日上海事務所より、社長〜今年は大丈夫ですよ〜と、(下の写真)入館証が届きましたと連絡がありました。

昨日は、弊社の「TSUBOレシピ」シリーズの新商品についての打ち合わせを、デザイナーさんを交えて行いました。
試し履き等を行って、洗濯をしての結果、工場への改良点内容やパッケージデザインについても絞り込んで、販売什器についても相談しました。
かなり完成度の高い商品が出来そうなので、私も楽しみにしています。
既に、繊研新聞さん等でも紹介されているので、年明けの販売へ向け頑張りたいと思います。
















